ふと感じる、時間の流れるスピード
最近「時間が過ぎるのが、やけに早い」
もちろん、1日は24時間。20代の頃も50代になった今も、時間の長さは変わらない。
それなのに、どうしてこんなにも早く感じるのだろう。
正直に言えば、少し焦っている。50代になると、1年が本当にあっという間だ。
ついこの前、お正月を迎えたと思ったら、もうお盆。お盆が過ぎれば年末が見えてくる。
そして、最近はこんなことを考えるようになった。
「時間が早く感じるということは、残された時間も確実に短くなっているということだ」
若い頃には、こんなことを真剣に考えたことはなかった。
あの頃、時間は無限にあると思っていた
20代の頃を思い出す。友人と集まっては、特に目的もなく時間を過ごした。
「暇だなぁ」
そんなことを言いながら、ゲームをしたり、くだらない話をしたり。
何をするでもなく、ただ時間が過ぎていく。田舎出身なのでお金も無ければ娯楽も無い。
あの頃は、それが普通だった。
時間なんて、いくらでもあると思っていた。
やがて結婚し、子供が生まれ、生活は一変した。
仕事をして、家に帰れば子育て。
休日には子供と遊び、成長すれば部活動の応援に出かけた。
試合会場まで車を走らせ、子供の頑張る姿を追いかけた日々。
忙しかったけれど、今思えば本当に充実した時間だった。
あれほど長く感じた子育ての年月も、振り返ってみれば、あっという間だ。
人生とは不思議なものだ。過ごしている最中は長く感じる時間ほど、振り返ると短く感じる。
そして、もう二度と戻ってこない。
50代になって見えてきた「残り時間」
若い頃、人生の終わりなんて考えもしなかった。
ところが50代になると、少しずつ意識が変わってくる。
日本人男性の健康寿命は、72歳前後といわれている。
もちろん、72歳を過ぎたら健康でいられないという意味ではない。
それでも、今の自分に当てはめてみると、健康上の制約なく活動できる期間の一つの目安までは、あと20年弱。長いようで、決して長くない。
今から20年前といえば、まだ30代。
子育てに仕事に、毎日を一生懸命走っていた頃だ。
あれから、もう20年近くが過ぎたのか・・・
そう考えると、これからの20年がどれほど早く過ぎていくのか、何となく想像できてしまう。
いつ人生が終わるのかは、誰にも分からない。
だからこそ、最近は思う。
「このまま惰性で生きて行くわけにはいかない」👊
もし今の時代に20代だったら
もう一つ、最近よく考えることがある。
もし、今の時代に20代だったら、自分は何をしていただろう。
インターネットが普及し、スマートフォンが当たり前になり、今ではAIまで身近な存在になった。
パソコン1台あれば、自宅にいながら世界中の情報に触れられる。
勉強もできる。仕事もできる。自分の考えを発信することもできる。
住んでいる場所に関係なく、新しいことに挑戦できる時代になった。
新型コロナウイルスの流行をきっかけに、オンラインで働くことも一気に身近になった。
昔とは比べものにならないほど、情報があふれている。
まるで、大きな大河のように、その流れは年々速くなっている。
20代の頃、友人と「暇だなぁ」と言いながら過ごしていた自分。
あの時間に、今のような環境があったら、もっと勉強していただろうか。
何か新しいことを始めていただろうか。
自分の可能性を、もっと広げられたのではないだろうか。
そんなことを考えてしまう。しかし、考えたところで過去には戻れない。
いわゆる「タラレバ」の話である。
50代、まだまだ新しいことを始めたい
50代になり、仕事では責任ある立場を任されるようになった。
役職も上がり、仕事は相変わらず忙しい。若い頃のような体力や勢いはない。
それでも、子育てが一段落し、少しずつ自分のために使える時間が増えてきた。
これから、その時間をどう使うかが最近の自分にとって、大きなテーマになっている。
仕事だけで人生を終わらせたくない。
かといって、ただ何となく休日を過ごし、気づけば60歳、70歳になっていたというのも寂しい。
何か新しいことを始め、知らなかったことを学びたい。
今まで経験したことのない世界を見てみたい。
そして、できることなら、それが少しでも将来の収入や生きがいにつながれば、なおうれしい。
そんな思いから、最近はAIを学んだり、ブログを書いたり、パソコンを使った新しい働き方にも興味を持つようになった。
50歳を過ぎてやっと余裕が出てきた。今始めれば、60歳までになにか出来る用になるだろう
70歳までならもっともっと出来ることが広がるだろう。
考え方を変えれば、まだまだ多くのことができるはずだ。
無駄な時間も、人生の大切な時間だった
ただ、一つだけ思い直したことがある。
20代の頃、友人と過ごした時間。あれは本当に無駄だったのだろうか。
確かに、今の自分なら、もっと有効に時間を使いたいと思う。
でも、あの何でもない時間があったからこそ、友人との思い出があり、今の自分がある。
子供と夢中で遊んだ時間も、仕事に追われた時間も、酒を飲みながら笑い合った時間も。
すべてが自分の人生だった。そう考えると、過去を後悔するばかりではもったいない。
大切なのは、これからの時間をどう使うかだ。
時間を無駄にしないというのは、常に何かをしていなければならないということではない。
好きな音楽を聴く時間。
一人でゆっくり酒を飲む時間。
何も考えず、ぼんやりする時間。
そんな時間も、自分にとって必要な時間なのだと思う。
ただ、何となく流されるのではなく、自分で選んで過ごしたい。
遠回りこそが一番の近道。イチローの言葉に救われた
以前、イチロー選手と稲葉篤紀さんの対談が、今でも強く印象に残っている。
情報があふれる現代では、最短距離で成功にたどり着けるのではないか。
そんな稲葉さんの問いに対し、イチロー選手は、失敗をせずにたどり着くことはできないし、仮にできたとしても、そこに深みは生まれないという趣旨の話をしていた。
そして語ったのが、「遠回りすることが一番近道」という言葉だった。
この言葉を聞いたとき、妙に納得したことを覚えている。
自分の人生を振り返ってみても、決して一直線に歩んできたわけではない。
失敗もした。後悔もした。もっと違う道があったのではないかと思うこともある。
しかし、遠回りしたからこそ得られた経験があり、気づけたこともある。
若い頃には理解できなかったことが、50代になった今だからこそ分かる。
あのときの失敗も、回り道も、決して無駄ではなかったのだ。
遠回りした時間も、失敗した経験も、すべて今の自分をつくっている。
世界の頂点を極めたイチロー選手が語るからこそ、その言葉には説得力があった。
そして、自分がこれまで歩んできた道にも、少し自信を持つことができた。
まだ人生の途中である。
これからも失敗するだろう。遠回りすることもあるだろう。
それでも構わない。失敗しても新しいことに挑戦したい。
これまでの経験を自信に変え、もっと自分を高めていきたい。
そう思わせてくれた、忘れられない一言であった。
人生の後半戦、自分をトトノエる
晩酌をしながら、こんなことを考えている自分がいる。
若い頃は、明日のことばかり考えていた。
50代の今は、10年後、20年後の自分を考えることが増えた。
少し寂しい気もするが、悪いことばかりではない。
残された時間を意識するようになったからこそ、今まで見過ごしていたものの大切さにも気づける。
健康であること。
家族と過ごせること。
好きなことを楽しめること。
そして、何歳になっても新しいことに挑戦できること。
これからは、1日を、1時間を、そして1分を、今までより少しだけ大切にしたい。
若い頃へ戻りたいとは思わないし、こんなことを考えている今がとても楽しい。
新しいことに興味を持ち、学び、失敗し、また挑戦する。
そんな50代でありたいと思う。
人生の後半戦。まだまだ、これからだ。
過ぎた時間を悔やむより、これからの時間を楽しむ。
そのために、まずは自分自身を「トトノエて」いこう。
今夜も、そんなことを考えながら、グラスを傾けている。

